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藤間紫乃弥/教えながら、教えられている。

「先生、少し分かった気がする」 
 藤間紫乃弥は、今も稽古場で、師のひとりである伊藤正次の写真に話しかけている。そのときの弾む声は東京上野の下町で生まれ育った、気風のいい口調そのままだ。
 日本舞踊の指導者として教え始めて25年が経ったが、最初から望んで教える立場に立ったわけではなかった。
 とくに最近、子どもから大人まで踊りを教えながら、いろんな約束を「有言実行」できない生徒が増えていることが気になっていた。叱ると必要以上に落ち込む。やさしくすると、これでいいんだと勘違いしてしまう。
 自身の生き方、指導者としての在り方、表現者としての道。舞踊と芝居、いずれの師匠も旅立ち、残された自分に打ち寄せてくる葛藤の渦と抗っていたとき、3.11の震災が起こる。

「ちょうど、稽古場でお稽古していたんですね。あれ、と思ったら、えーっ!て揺れて。ただ稽古場はモノがないので、みんな怪我もなくて。それでスグ思ったのは、みんなの食料確保しなくちゃって。弟子たちの無事を確認することと、とにかく守るものがあったから自分がシャンとしていられた」
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 そのことに感謝すると共に、ある思いが、心の底から自分自身に迫ってきた。
「地震のあと、みんな不安がっているし、帰れない人もいて余震も続くので、唐突だけどお稽古しませんか? って夜中に踊ってたんです。踊りながら、いろんなことを考えて。生きていたいけど、居なくならなくてはいけなくなった人もいる。命があったから、自分にもみんなにも本当に厳しく生きなくちゃダメだ。自分のところに稽古に来てもらう意味があるとしたら、外の世界でなくちゃ言ってもらえないことを言おうと」

 その思いこそ、かつて藤間紫乃弥が伊藤正次演劇研究所で、師から真剣に叱られ、心から褒められて感じたことであり、実師匠、初世家元、三人の恩師から考えさせられたことであった。




 「昔に戻したかったんですよ。お稽古も舞台も、緊張感があるような状態に。そういう場でなければ感じられない、身につかないことがある。伊藤先生は、生きているといろんなことが起こって、そのときにしか人間は成長できないって教えてくれた。それが、今なんじゃないの? って」

 自分の弟子、生徒たちには、言葉ばかりで何も行動できない人間にはなってほしくない。人を守る強さを身につけるために、苦しくても自分の言った事を守れる人間になってほしい。それを伝え、一緒になってやることが自分の仕事だと分かった。

 震災が起こり「自分には何も関係なくてよかった」ではない。どれだけ、そのことを通して自分と向き合えるか。「人間は“人になるのが難しい”」と師が教えてくれたことが、身をもって感じられた。

「それで、先日弟子たちに宣言したんですよ。踊りを通して人生の何かを知ろうとしない人はいらない!」と言い切った。

 自分も後悔したくない。みんなにも、あのときあれをやっていればと後悔してほしくない。だからこそ、これまでの上辺だけの“師匠と弟子”の関係から厳しい環境にあえてみんなを放り込んだ。離れる弟子が出ることを覚悟のうえで。

「それからのお稽古は変わりましたね(笑)。苦しくても何かに集中しているみんなの姿を見て、これだよ!って。楽しいことだけ考えて生きてたって、そんなの本当に楽しくない。苦しいのを乗り越えてこそ、楽しいっていうことをみんなに味わってほしかった」

 そして迎えた勉強会は、みんなが口々に「いつもと違ったのがわかった」と言った。
そのとき感じた嬉しさも、今までとは違ったという。
「あぁー。“遠足は帰るまでが遠足”を出来なかった人がいたのは、残念でしたが!いまのみんなが居てくれてよかったって本当に思いました。そして、いまの藤間紫乃弥になるまでに、関わってくれた人がいて、守らなくちゃって思えるみんなが居たから、やってこれたんだって」




 もともと藤間紫乃弥は体育会系少女だった。中学、高校は体操部。大学では空手に夢中になり弐段の有段者。それが今では、日本舞踊家。本人いわく「不思議なご縁と、人に恵まれて」踊りの世界に立っている。

「子どもの頃から踊りは好きだけど、勉強は……で。大学は日大の芸術学部演劇学科日舞コースに辛うじて受かったんですけど、 名執 なとり ではなかったので、面接で教授から“あなた名執じゃないけど授業に付いていけるんですか?”って心配されたぐらい(笑)」

 名執になったのは3年生になるときだった。
「その頃の日舞コースは1年生で古典の勉強、2年生で古典の振り付け、3年生で創作をするんです。授業が終わってからも、みんなで残って自習がありました。でも、わたしは芝居がやりたい。ただ、そのときのわたしは台本も満足に読めない。それで仲間にも教授にも無理を言って、芝居の勉強をしに伊藤先生の研究所に行かせていただいたんです」

 やりたいことは何でも自分が気が済むまでやらないと納得できない性格。空手の練習、授業に日舞の稽古とアルバイト、研究所通い。あらゆるものを掛け持ちする学生生活。ただ、そのことが、後に藤間紫乃弥の道を切り拓くことになる。


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