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受け継がれる想い

伊藤正次から受け継がれる想い。想いをひも解くインタビュー。

Vol.6
教えながら、教えられている。

紫派藤間流舞踊家
藤間紫乃弥
Fujima Shinoya

「先生、少し分かった気がする」 
 
藤間紫乃弥は、今も稽古場で、師のひとりである伊藤正次の写真に話しかけている。そのときの弾む声は東京上野の下町で生まれ育った、気風のいい口調そのままだ。
日本舞踊の指導者として教え始めて25年が経ったが、最初から望んで教える立場に立ったわけではなかった。
とくに最近、子どもから大人まで踊りを教えながら、いろんな約束を「有言実行」できない生徒が増えていることが気になっていた。叱ると必要以上に落ち込む。やさしくすると、これでいいんだと勘違いしてしまう。
自身の生き方、指導者としての在り方、表現者としての道。舞踊と芝居、いずれの師匠も旅立ち、残された自分に打ち寄せてくる葛藤の渦と抗っていたとき、3.11の震災が起こる。
 
「ちょうど、稽古場でお稽古していたんですね。あれ、と思ったら、えーっ!て揺れて。ただ稽古場はモノがないので、みんな怪我もなくて。それでスグ思ったのは、みんなの食料確保しなくちゃって。弟子たちの無事を確認することと、とにかく守るものがあったから自分がシャンとしていられた」
 
そのことに感謝すると共に、ある思いが、心の底から自分自身に迫ってきた。
「地震のあと、みんな不安がっているし、帰れない人もいて余震も続くので、唐突だけどお稽古しませんか? って夜中に踊ってたんです。踊りながら、いろんなことを考えて。生きていたいけど、居なくならなくてはいけなくなった人もいる。命があったから、自分にもみんなにも本当に厳しく生きなくちゃダメだ。自分のところに稽古に来てもらう意味があるとしたら、外の世界でなくちゃ言ってもらえないことを言おうと」
 
その思いこそ、かつて藤間紫乃弥が伊藤正次演劇研究所で、師から真剣に叱られ、心から褒められて感じたことであり、実師匠、初世家元、三人の恩師から考えさせられたことであった。

人間は“人になるのが難しい”


「昔に戻したかったんですよ。お稽古も舞台も、緊張感があるような状態に。そういう場でなければ感じられない、身につかないことがある。伊藤先生は、生きているといろんなことが起こって、そのときにしか人間は成長できないって教えてくれた。それが、今なんじゃないの? って」
 
自分の弟子、生徒たちには、言葉ばかりで何も行動できない人間にはなってほしくない。人を守る強さを身につけるために、苦しくても自分の言った事を守れる人間になってほしい。それを伝え、一緒になってやることが自分の仕事だと分かった。
震災が起こり「自分には何も関係なくてよかった」ではない。どれだけ、そのことを通して自分と向き合えるか。「人間は“人になるのが難しい”」と師が教えてくれたことが、身をもって感じられた。
 
「それで、先日弟子たちに宣言したんですよ。踊りを通して人生の何かを知ろうとしない人はいらない!」と言い切った。
自分も後悔したくない。みんなにも、あのときあれをやっていればと後悔してほしくない。だからこそ、これまでの上辺だけの“師匠と弟子”の関係から厳しい環境にあえてみんなを放り込んだ。離れる弟子が出ることを覚悟のうえで。
 
「それからのお稽古は変わりましたね(笑)。苦しくても何かに集中しているみんなの姿を見て、これだよ!って。楽しいことだけ考えて生きてたって、そんなの本当に楽しくない。苦しいのを乗り越えてこそ、楽しいっていうことをみんなに味わってほしかった」
 
そして迎えた勉強会は、みんなが口々に「いつもと違ったのがわかった」と言った。そのとき感じた嬉しさも、今までとは違ったという。
 
「あぁー。“遠足は帰るまでが遠足”を出来なかった人がいたのは、残念でしたが!いまのみんなが居てくれてよかったって本当に思いました。そして、いまの藤間紫乃弥になるまでに、関わってくれた人がいて、守らなくちゃって思えるみんなが居たから、やってこれたんだって」
 

掛け持ちの学生生活


もともと藤間紫乃弥は体育会系少女だった。中学、高校は体操部。大学では空手に夢中になり弐段の有段者。それが今では、日本舞踊家。本人いわく「不思議なご縁と、人に恵まれて」踊りの世界に立っている。
 
「子どもの頃から踊りは好きだけど、勉強は……で。大学は日大の芸術学部演劇学科日舞コースに辛うじて受かったんですけど、 名執(なとり)ではなかったので、面接で教授から“あなた名執じゃないけど授業に付いていけるんですか?”って心配されたぐらい(笑)」
 
名執になったのは3年生になるときだった。
「その頃の日舞コースは1年生で古典の勉強、2年生で古典の振り付け、3年生で創作をするんです。授業が終わってからも、みんなで残って自習がありました。でも、わたしは芝居がやりたい。ただ、そのときのわたしは台本も満足に読めない。それで仲間にも教授にも無理を言って、芝居の勉強をしに伊藤先生の研究所に行かせていただいたんです」
 
やりたいことは何でも自分が気が済むまでやらないと納得できない性格。空手の練習、授業に日舞の稽古とアルバイト、研究所通い。あらゆるものを掛け持ちする学生生活。ただ、そのことが、後に藤間紫乃弥の道を切り拓くことになる。
 

伝説になった外郎売(うりろううり)


「研究所に通っていたときに、研究生のひとりから“日舞を教わりたいから、紫乃弥さんの師匠に聞いてもらえる?”って頼まれたんですよ。それで踊りの師匠に相談したら“あなたがやりなさい”って。伊藤先生へご相談申し上げたら“それはいい。研究所のみんなも着物着られるようにならないといけないからな”と言われて。そんなつもりは全然なかったのですが、それで研究所で日舞のレッスンをすることになったんです」
 
そのとき弱冠二十歳。本当は、自分が教えるなんて一切考えておらず、引き抜き(一瞬の衣裳替え)に憧れて日舞の舞台に立ちたかった。
本衣裳を着て踊りたいという想いから、本気で生活の安定した仕事に就こうと考えていたぐらいだった。それが、どういうわけか、研究所でのレッスンにはじまり、ある劇団での代講師の仕事にまでつながっていく。
 
「わたしって、人に伝えるどころか、本当は人前で、人が怖くてしゃべれなかったんですよ。信じてもらえないんですけど(笑)。何か言ってもスグ隠れて逃げるタイプ」
 
ところが、研究所の課題で歌舞伎の『外郎売(ういろううり)』をやるときに、伊藤正次から、あることを指導されたのをきっかけに殻が破れた。
 
「君は、体操をやって空手もやって、踊りもやってるんだ。全部、入れなさい、と。それで、全部のパフォーマンスをやりながら外郎売の口上を、“薬師如来も照覧あれと、ホホ敬って外郎はいらっしゃりませぬか”ってやったらできたんですよ。動いていたら人前でセリフが言えた!」
藤間紫乃弥が演じた『外郎売』は、今でも関係者の伝説になっている。
 
「先生は、わたしがやってきたことを見て、わたしを活かしてくれたんですよね」
 自分が人前でしゃべることに自信が持てたことで、そう思った。
「君は、いままでやってきた習い事を、ちゃんと全部きちっとやってきたから活かせる人なんだよ。それを宝にしなさいって言ってもらって、ああ、なんだ無駄じゃないんだ。いろんなことやってきてよかったって」
 

教えることを通して人間をつくること


実は、藤間紫乃弥の踊りの師匠と伊藤正次は、伊藤正次が俳優座に在籍していた頃に縁があった。「師匠は、創作舞踊公演の踊り手。伊藤先生はスタッフとして。うちの師匠が創作舞踊公演で踊っている姿をみていらしたとか。不思議ですよね。研究所での縁と、自分の踊りの師匠の縁。自分がこれまでやってこれたことには、必ず誰かのつながりがあるんです。わたしは、そういう人と人との縁に恵まれてきた。それは自慢なんです(笑)。だから、しっかり生きなきゃって」
 
これまで、自分が伝える、教える人間になることに、どこかで抵抗をしてきた。いや、いまも闘っているのかもしれない。それは、あるべき伝達者、指導者に自分は近づけているのかという闘いでもある。
 
「伊藤先生には、ときにはぶつかったり、いろいろ心配もおかけしました。自分の立ち位置が定まらずに悩んでいたことも先生は気にかけてくれていたし。最後に先生にお会いしたとき、なぜか先生に“わたしはもう大丈夫です。先生とは分野は違いますが、師匠から教わった事と先生が教えて下さった事は同じ。空手を通して教わった事も!同じ!全部伝えていきます。厳しいままやります”って約束してるんですよ。だから、あとは約束を守るだけ。それで、いつか空の上で再会したら“頑張って厳しい顔してたな。アレが辛いんだよな!”って言ってもらえたらいいなと……“いや、まだまだ甘いな紫乃弥君”ですかね?」
 
自分に厳しく、弟子や生徒にも、あえて厳しく。それが、伝えることを通して人間をつくるという伝達者の仕事。研究所に通いながら師から受けた教えを、いままた、今度は自分が伝える立場になり、伝えながら弟子や生徒に教えられている。
 
「だから、もっとちゃんと自慢できる師匠にならないといけない。そうなれるように、今も先生や師匠、家元にはどこかで教えてもらってます。だって、先生のところにいたとき、研究所にいたときが完成じゃなくて、そこからスタートして自分で考え始めることが大切じゃないですか。守ることが大事じゃないですからね。だから、わたしは止まりませんよ(笑)」
 

取材・文 / ふみぐら社
2011.09

藤間紫乃弥
Fujima Shinoya

伊藤正次演劇研究所元研究生。藤間勘紫乃師へ入門、同師執立のもと宗家藤間流にて名執となる。実師匠引退後、紫派藤間流家元、藤間紫師のあずかり弟子となり、現在二代目の弟子となっている。1992年、各流派合同新春舞踊大会「清元『子守』」にて、奨励賞受賞。1993年、第一回藤間紫乃弥の会を主催。1998年、第二回紫乃弥リサイタル「幻椀久」にて実師匠と踊る。2008年、第三回紫乃弥の会「流星」にて初世家元(牽牛)と実姉弟子(織姫)に見守られて踊る。2010年、日本舞踊協会主催・新作公演「新△道成寺」。2011年、第54回日本舞踊協会公演、日本舞踊協会主催・新作公演「かぐや」。紫派藤間流舞踊会、藤間勘紫乃舞踊会、日本舞踊協会主催公演などの舞踊公演に多数出演。古典作品の他、創作舞踊・舞踊劇にも意欲的に参加。演劇公演出演、振付、所作指導など多方面に渡り活躍している。