HOME | 伊藤正次演劇研究所 | 受け継がれる想い | インタビュー:vol.5神山征二郎

受け継がれる想い

伊藤正次から受け継がれる想い。想いをひも解くインタビュー。

Vol.5
人間を愛し、人間を呑み込んだ男。

映画監督
神山 征二郎
Kouyama Seijiro

大河は、その深さと大きさ故に、ゆっくりと流れる。そして、常に水を満々と湛え、その流れは過去から未来へと絶えることはない。
長年に渡り、表現の世界に現れる才能を見続けてきた神山監督は、才能というのは枯れることはない、という。ただ、その才能をきちんと育て送り出す“伝統”がないところが増えたことに、少し疑問を感じている。
 
「映画でもそうなんだけど、若い監督は、そこそこ撮るんですよ。けれど、モノをつくる伝統がないところでやってるので、ときに重大な欠陥がある作品をつくってしまうことがある。映画の世界でいえば、意味のない画面のクローズアップは撮ってはいけないというセオリーがあるんです。それをやってしまう。見せるべきものを、ちゃんと見せて、見せちゃいけないものは見せない。演劇も同じでしょう」
 
そうした、絶対に外してはいけない部分を、きちんと教える。そのためには一人ひとりを見て、何を教えるべきなのかを的確につかまなければならない。
 
「伊藤先生は、そういう部分をきちんと見ていたと思いますよ」。自身の映画『川を渡る風』のオーディションで伊藤正次演劇研究所の研究生だった伊藤留奈と出会ったことが縁で神山監督は研究所に出入りするようになった。
 
「僕は、研究所の公演、研究生の発表会は、ほとんど観にいかせてもらったけど『父帰る』なんて、何回観ても、観飽きない。それが芝居の魔力なんでしょうけど、それまで芝居の戯曲を、きちんと読んだことがなかったのが、研究所に通うようになって、いろいろ勉強させてもらいました。戯曲の構造は、こうなっているのかと」

高く、強く。されど孤高にあらず


「研究所の人とも、いろいろ親しくなって、そりゃあ、研究生にもいろんな人がいますよ。まだまだ未熟な人もいる。だけれど、公演で観ると、不思議にバランスがとれているんです。このバランスっていうのが、どんな作品でも大事。ある有名な俳優がやっている劇団の芝居も、何度か観にいかせてもらいましたが、どうもしっくりこない。上手い役者だけのワンマンショーになっちゃってるんですよ」
 
演劇では、長い時間をかけて、どれだけ一人ひとり手をかけて育てたかで、上手下手が如実に現れてくるのを知った。
「伊藤先生が、どんな魔法を使っていたのかは分かりません。でも、先生が研究生といろんな話をしているのは、さんざん見てきた。先生は、犯しがたいほど怖くて、高くて、強いものだったけど、話をするときは同じところにいる友達みたいだった。それが凄い。寺山修司なんかは、役者が稽古しているのを節穴から見ていたなんていうけれど、先生はいつもみんなの中にいましたよね」
 
そうして、神山監督自身が、いつしか伊藤正次の不思議な魅力を感じ始めたのだという。
「僕は、いままで生きてきて、3人、ちょっとかなわないという人と出会ってるんです。伊藤先生と日本フィルハーモニー交響楽団の指揮者だった渡邉暁雄さん、作曲家の芥川也寸志さん。伊藤先生はいわゆる貴種ですね。演劇一族の血なのか、人を楽しませるのが上手。とにかく話が面白い。何時間でも話を聞いていられる。歴史上の事件にまつわる、先生の身近な人たちのいろんなエピソードだとか」
 
監督自身、他人の話を面白がるようなことは、あまりなかった。それでも、話が聞きたいと思わせてくれる稀有な存在だったという。
 

壁をつくらせない人間的魅力


「僕は、人が亡くなっても、そんなに悲しいと思う人間ではないんです。生きてる人間のほうがよっぽど大変だし悲しいんだから。だけど、伊藤先生が亡くなられたときは、寂しかった。もう話を聞かせてもらえないんだな、と」
 
研究生だけでなく、その周囲の人間、そして少しでも関わった人間の多くを引き込んでいった伊藤正次という存在。それは、時代が育んだものだったのか。明日はない覚悟で、まっしぐらに生ききる。その熱が、あまりにも凄かったせいなのか。

「先生は、とくに珍しい体験やエピソードを自慢しようとか、笑わせようと話しているわけではない。本当に、先生自身も面白くて話しているのがわかる。だから引き込まれるんです」
 
研究生の若い子たちまで、その熱に包まれていた。ふつうに考えれば、いくら師弟とはいえ、年齢も離れ、時代も異なる内容の話に、そうそう人は引き込まれない。いったい、何がそうさせたのか。
 
「壁をつくらせない人間的魅力っていうのかな。ちょっと、他に会ったことがないような人でした。ダンディズムがあり、美意識がすごく高いのに、子どものように本気で遊ぶ、笑う、怒る。そして、みんなを引き込む魅力がある。だから、生まれながらにして持っている本物の貴種だと」
 

すべてを呑み込む矛盾のなさ


伊藤正次の、ものの考え方、主義主張。そして周囲に集まってくる人たちの考え方は、必ずしも同じではなかった。時代背景を考えても、右も左も、いろんな立場のいろんな考えを持った人間がぶつかり合う世の中だった。
 
「その中にあっても、伊藤先生は、どれもを受け入れるというか、矛盾がないんですよ。すべてを、呑み込んでしまう。人間が好きだったんでしょうね。善も悪も、静も動も、すべて。そして、どんな人間も排除しなかった。ときには湯気を出すように怒ることはあっても、決して排除はしなかった。僕だったら、もう顔も見たくない、となるような相手であっても、怒ったあとはニコニコしていましたよ」
 
どんな考えの人間とも話ができる、引き込ませてしまう魅力。
若き日の伊藤正次が所属していた俳優座・劇団三期会でブレヒトの芝居をやりつつ、米軍基地のアメリカ人とも友人になり、仲間から「いったい、どういう主義なんだ」と言われても「個人的な友だちの何が問題なんだ」と平然としていたという。
 
「もう、こんな人は出てこないかもしれない。そして、先生の弟子だから、先生のようになれるかというと、それは望む必要もないことです。でも、きっと、何かを受け継いでいる。そんな気がしますよ」
 

取材・文 / ふみぐら社
2011.09

神山征二郎
Kouyama Seijiro

映画監督。1965年、新藤兼人監督の主宰する近代映画協会に参加、同監督や吉村公三郎、今井正らの助監督を経て、1971年「鯉のいる村」で監督デビュー。1976年『二つのハーモニカ』で日本映画監督協会新人奨励賞を受賞。独立後、1983年『ふるさと』を監督。文化庁優秀映画奨励賞など多数の賞を得る。 1987年『ハチ公物語』では山路ふみ子映画賞を受賞、同作品は年間興収ベストワン。1988年、神山プロダクション設立。1990年『白い手』では日刊スポーツ映画大賞監督賞、毎日映画コンクール優秀賞を受賞。以降、『遠き落日』(1992)、『ひめゆりの塔』(1995)、『郡上一揆』(2000)、『大河の一滴』(2001)、『草の乱』(2004年)、『ラストゲーム 最後の早慶戦』(2008年)、『学校をつくろう』(2011年)等、数々の大作を生み出し続ける。