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受け継がれる想い

伊藤正次から受け継がれる想い。想いをひも解くインタビュー。

Vol.2
芝居心の幕が上がって。

音楽プロデューサー
酒井 政利
Sakai Masatoshi

やわらかい風に誘われるように、あの坂道をのぼっていく。一瞬、ふと、開演前のざわめきが 耳朶 をくすぐって通り過ぎたような気がして、つい早足になる。そして、研究所での芝居のひとときに身を委ねられることを思い、非日常的な、なんとも不思議な心地に満たされていく――。
「音楽を生業としていた自分に、芝居心を目覚めさせてくれたのは研究所だった」。

 音楽プロデューサー、酒井政利は断言する。南沙織、郷ひろみ、山口百恵、キャンディーズ、宮沢りえ…。音楽史に残る歌手、俳優たちと、数多の楽曲を世に送り出してきた伝説のプロデューサーは、人知れず、坂の上の伊藤正次演劇研究所に足繁く通っていた。

元々は、ある作曲家を介して新人を勉強の一環として伊藤正次のところに預けたのがきっかけ。それが、いつしか酒井自身が演劇の持つ表現の深さに魅せられていった。
 
「私と、伊藤先生との共通点は、突き詰めると"人間が好き"というところ。俗にいう、おせっかい。だから、大事なことを放っておいてまで、人と付き合って面倒をみていましたね」
 研究所の所長であった伊藤正次の「人をつくる」という姿から、酒井は“作品”をつくる真髄のようなものを感じていたのかもしれない。
 
「表現する、創作するという仕事は、水と一緒なんですよ。境目がない。歌も演劇の世界も共通。大事なのは、表現の究極は 下衆 の世界だということ。人間の業や生き様、そういったものを品格を上げて表現する世界なんです」
 
品のない人間が下衆を演じると、見るに堪えないものになる。品のある人間が表現として昇華して初めて、本当の哀れが出る。そこに境目は、あるようでない。だからこそ、演技ではなく人間を磨くこと。深謀遠慮。25年間、伊藤正次は、その一点をブレることなく研究生に刻み込んできた。

表現者を育てる、一か八かの覚悟


「先生は人間の内面を本当によく見ていました。洞察力がすごかった。こころの奥のレントゲン技師じゃないかと思うくらい。伊藤先生と話をしていると、人間というものに対して、こんな見方もあったんだなと気づかされる。私は、芝居心と思っているんですが、それが音楽の世界の表現にも深くつながって、とても勉強になった」

音楽と芝居の世界で、それぞれ本物といえる表現者を世に送り出す仕事をしていたふたりは、人間の内面という奥行きのある世界を共有する。
 
「俳優を育てる、人間を表現の世界に引っぱり込むのは、一か八か。どっちかに引き込まないと成功しない。それは、覚悟のいることなんです。伊藤先生は、表現者を育てる天才であったけれども、同時にとても不器用な人でもあった。人間が好きで面倒をみすぎて、そこに甘えてしまう人もいたんじゃないのかな」

酒井は、伊藤の本当の厳しさというものを目の当たりにしているからこそ、そう感じるという。

「表現者としても一級品にしたい、人間としても一級品にしたい。その葛藤だったと思うんです。人間としての一級品は、いい人だけれど俳優としてはどうかと。俳優として一級品でも、人間として一級品でなければ本当の表現はできない。どちらも妥協しないところが伊藤先生の厳しさだったんです」
 

非言語の世界を生きる


伊藤は、また、言葉というものにも厳しかった。言葉の美も表現の一部として大切にしていたからだ。研究生が行う研究所の公演でも、日本語の持つ情緒、抑制を感じる作品を数多く上演した。

「言葉が大事だからこそ、言葉を伝える表情、非言語の深みを知ることを先生は教えたかった。非言語の世界の人だったと思いますよ。我々の世界、歌も非言語が大事なんです。悲しい歌なんだけど、淡々と歌う。そのうえで文学的な抑揚があってこそ、心をつかまれるものがある。いまは、そういう歌手が少なくなってしまいましたが…」
 
あまりにも、いろんなことが起こり、ひとつの悲しみが消えぬまま新たな悲しみがやってくるような今の時代。だからこそ、そうした時代の中で照らされ浮かび上がる俳優、表現者がいる。そうした人たちは「時代が大切に応援してくれているのだ」と酒井は言う。

そして、時代に大切にされる俳優、表現者に共通しているのが「人間としての奥深さや味わい、そして時代とシンクロできる非言語感覚。研究所は、そういったものを勉強する、 稀有 (けう)な場所だったと思いますよ」
 

芝居心が生んだ『プレイバック』『美・サイレント』


伊藤正次と出会い、研究所の公演に通い、非言語という表現の世界に魅せられた酒井は、その奥深さを自らがプロデュースする楽曲にも取り入れようとした。言葉も数字も、すべて言語。“間”だとか表情は、すべて非言語。当時、そうした非言語の魅力を音楽作品に活かしたいという話をレコード会社の会議で話しても、ほとんどの人間が「ポカン」としていたという。
それでも、自分には分かる、という感覚を「特許のようなものだ」と大切にしていた。
 
山口百恵の名曲『美・サイレント』。サビで、あえて歌詞を声に出さない“空白”があることで有名だが、これも、演劇的な発想から生まれたものだ。
「歌詞を声に出さないということで、聞き手が自分の中に、もうひとつの風景をつくる。ひとり芝居なんです。でもそれは山口百恵だから、できたこと。彼女は、表情で語る女優心がある歌手だった。でも、面白いですね。もし、研究所に行っていなかったら『プレイバック』や『美・サイレント』などの作品は生まれていなかったかもしれない」

研究所との縁、そして、その縁から生まれた音楽作品。すべてが、つながっている。そのつながりを酒井は「覚悟」という言葉で表現する。
 
「伊藤先生も、本物の人間、本物の表現者をつくるという、もの凄い覚悟を持っていた。いま、これから残っていくのは覚悟を持った人であり、覚悟から生まれる何かです。3.11以降、いまの時代のほうに、本当の日常が戻ってきている。いろんなことを、これほど考え、生きていかなくてはいけないということは覚悟がいること」
 
そうした覚悟を持った作品や表現者が出てくるのを、伊藤正次は遠くから応援しているに違いない。

取材・文 / ふみぐら社
2011.09

酒井政利
Sakai Masatoshi

音楽プロデューサー。伊藤正次演劇研究所の公演には、毎回足を運んでいた。立教大学卒業後、日本コロムビアを経てCBS・ソニーレコード(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)へ。南沙織、郷ひろみ、山口百恵、キャンディーズなど数多くのスターを世に送り出し「愛と死をみつめて」「魅せられて」で二度の日本レコード大賞受賞。プロデューサー生活45年。伝説のプロデューサーと呼ばれる。現在、酒井プロデュースオフィス代表取締役社長。