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貫地谷しほり/不思議な始まりを越えて。

 いまだによく分からないことがありすぎる。
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 伊藤正次演劇研究所との出会いを振り返ったとき、思い出すのは、その頃の自分が置かれていた不思議な状況だ。

「中学生のときにスカウトされて、芸能界に入ったものの、オーディションに落ち続けて、もう嫌だって泣いてました」
 そのとき、母の知り合いを介して研究所の存在を知った。一般募集もしていない演劇研究所。元研究生には錚々たる顔ぶれが並ぶ。

「父と母と3人で、初めて伺ったのが、ちょうどお盆のときだったんですね。研究所のスタジオで先生が、いきなり“お盆は何のためにあると思う?”と聞かれて」
 当時、貫地谷しほり、中学3年。伊藤が「僕はね、お盆にお祭りをしたり踊ったりするのはどうかと思う」と続けて言ったことに面食らいながらも「帰ってきたとき、明るいのはとってもいいことなんじゃないかと思います」と笑顔で答えた。

「そうしたら、じゃあ、次から来なさいと言われて。よく分からないんですよ。なんでOKだったのか(笑)」
 研究所の研究生では最年少。一番、歳が近かったのが斎藤工で、それよりも一回り以上も年齢が上の役者や表現者の中に、放り込まれることになった。
「でも、研究所の先輩に、この歳でここに来られることは、すごくラッキーなんだよって言われて、そうなんだと思ったけど、本当は全然分かってなかったですね、そのときは」




 貫地谷しほりが、研究生として研究所に通った2年9ヶ月。中学を卒業し、高校生活を送りながら、夕方から始まる研究所の授業を受け続けた。
「それが、不思議と通うのがイヤじゃなかったんです。週3回で、あんなに自分が何かを続けたことって後にも先にもないですね。ほんと、不思議な空間でした」

 自分よりも一回り以上もちがう先輩たちに混じっての授業。それも、人間とは何か。演劇とは何か。という本質に迫りながら、森羅万象さまざまなことを考えさせられる内容だけに、16、17歳の高校生には、相当ハードなものだったかもしれない。
「実は、この前も、部屋を片付けながら、当時のレッスンのノートを読み返していて、本当に大事な言葉をたくさんいただいていたんだなって、改めて思いました。役者は芝居の中で生活しなくちゃいけないんだから、ふだんの生活の中からちゃんとしなさい。そんなことがいっぱい書いてあって」

 当時は、無我夢中で先生の言葉を書きとめていて、全部の意味までは、わかってなかったと貫地谷はいう。それでも、これは大事なことなんだということは受け止めていた。

「先生は、お芝居は全然教えてくれなかったですね。こうやったら、こうなるとか。あまりにも、間違っているときには言われるくらいで。だから逆に、いま、お仕事でいろんな現場に行かせていただいて、いろんなものに揉まれて、いろんな状況の中からその役を自分のものにしようとして、身に染みて分かるんですよ。先生が、本当に大事にしなさいって教えていただいていたことが」

 当時は、まだ自分が子どもすぎて分からなかったことが、不思議なことに、大人になって芝居の現場に立つようになったいま分かる。演技の技術よりも大事なものを教わっていたことを。
「だから、いま、先生の授業を受けたいです。本当に」




 なにかは、まだよく分からないけれど大切なことを教わっているという気持ち。そして、もうひとつ、貫地谷しほりは研究所での日々から、大切なものを見つけ出す。

「研究所に入ってからは、お芝居をやりたい、女優になりたいという気持ちは、心の中にずっとあったんです。でも、そのときは、いま現在、女優としてのお仕事もないのに、そのことを口に出すのは恥ずかしくて。実現できない夢を語ることはしちゃいけないことみたいな。オーディションもずっと落ちてばかりだったし」
 演技と向き合う以前に、自分の本当の気持ちと向き合うことができていなかった日々。
「でも、研究所に通い始めて、やりたいってちゃんと言えるようになって、それからオーディションにも受かるようになったんです。なんだろう。覚悟ができた。もう、やめないっていう」

 スカウトがきっかけで、最初から演じることを目指して、この世界に入ったわけではなかったという貫地谷しほり。オーディションに受からず、自分を全否定されたようにさえ感じ、モヤモヤしていたものが研究所に通うようになり晴れていった。
「ある日、先生に、君は大丈夫だからって言われて。先生には、そんな悩みをなにも言ってなかったのに。それで、嬉しくてびっくりして、ワーって泣いちゃったんですけど、本当に先生に出会えていなかったら、いまのわたしはないですね。そう思います」


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