12



 「女優になりたいって思っていながら、それまでは昔の映画もテレビも、ちゃんと見たことなかったんです。チャップリンは知ってても、バスター・キートンは知らないぐらいな。でも、先生に教わって、本当にいろんな作品から勉強するようになりました。先生は、昔の作品で今も残っているものは、それだけ結果が出ているということだ。だから、一番の近道なんだよって」

 昔の作品からも、自分の役者としての土台となるものをたくさん吸収したが、それ以上によかったと思えるのが、もともと自分が持っていた核(コア)の部分を壊さないように、先生が指導してくれたことだと貫地谷はいう。
「頑固なんですよ、わたしはすごく。でも、その頑固さを先生は壊さないようにしてくれた。演技でも、先生は当然、もっとこうしたら良くなるって分かっていても、こうしなさいって強制されたことが一度もなかったんです。わたしが調子に乗って、なにか勝手なことを始めてもダメって一度も言われなかった。だから、今でも自分で自分に正直にやれてるんだと思いますね」

 その代わり、ということなのかどうか、研究所の先輩には時に表現者として厳しく叱られたこともあったという。
「あるとき『父帰る』を研究所の公演でさせていただいたとき、なにを思ったのか、わたし舞台からすこし降りてしまったことがあったんですね。そうしたら、ある先輩から、舞台が始まったら舞台から降りるな!って凄い剣幕で怒られて。でも、そういうのも含めて、学校に行ってるより学校みたいな気分でした」




 伊藤正次がこの世を去った、2ヵ月後の2004年9月。貫地谷しほりは、映画『スウィングガールズ』で注目を集め、その後、2007年、NHK朝の連続テレビ小説『ちりとてちん』で、1864人が応募したオーディションからヒロイン初主演の座を射止める。

「スウィングガールズも、本当に、本当に先生に観てもらいたかったですし、ちりとてちんの主役が決まったときも、真っ先に先生のところに報告しなくちゃって、走っていったの覚えてます」
 伊藤正次演劇研究所としてのルーツは、放送局こそ違っても、同じ連続テレビ小説の主演新人女優を預かって演技指導するところからだった。だからこそ、関係者には特別な思いがあった。

「やっぱり、憧れなんですよ。朝ドラのヒロインは。それまでも、何度か応募していても、最終オーディションに残ったのは、そのときが初めて」
 その最終オーディションを前に、貫地谷しほりの中で、ある変化が起こっていたという。
「それまでは、常に自分の中に言い訳を用意してたんですよ。受からなかったらショックだから、そんなに期待しないでいようみたいな。本当は、すっごく受かりたいのに。それが、ちりとてちんの最終オーディションの時は“絶対受かりたい、絶対このヒロインやりたい”って本当にその一心になれたんです」

 そして、いま。貫地谷しほりは、心の中で師との次の約束に向かっていこうとしている。

「先生が、わたしをどういう女優になれるか考えていらしたとして、それを越えたい。そして、また、最近新しい欲が出てきて、絶対自分はここまで行きたいという目標があって、そこに必ず行きたいです」

取材・文 / ふみぐら社

貫地谷 しほり  Kanjiya Shihori

伊藤正次演劇研究所元研究生。2002年映画デビュー。映画『スウィングガールズ』(2004年公開)『夜のピクニック』『パレード』、ドラマ『連続テレビ小説/ちりとてちん』『キミ犯人じゃないよね?』『バーテンダー』『華和家の四姉妹』、人形アニメ映画声優『屋根裏のポムネンカ』、舞台『余命1ヶ月の花嫁』、ラジオナビゲーター、番組ナレーション『プロフェッショナル 仕事の流儀』他多数、CMなど幅広く活躍。2008年、エランドール賞新人賞受賞。

貫地谷しほり オフィシャルサイト



貫地谷しほり.jpg

貫地谷しほりさんが出演された下記の番組内で当研究所が取り上げられました。
* TBS系列『A-Studio』 2013年5月24日放送
* NHK『スタジオパークからこんにちは』 2013年5月31日放送