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神山征二郎/人間を愛し、人間を呑み込んだ男。

 大河は、その深さと大きさ故に、ゆっくりと流れる。そして、常に水を満々と湛え、その流れは過去から未来へと絶えることはない。

 長年に渡り、表現の世界に現れる才能を見続けてきた神山監督は、才能というのは枯れることはない、という。ただ、その才能をきちんと育て送り出す“伝統”がないところが増えたことに、少し疑問を感じている。

「映画でもそうなんだけど、若い監督は、そこそこ撮るんですよ。けれど、モノをつくる伝統がないところでやってるので、ときに重大な欠陥がある作品をつくってしまうことがある。映画の世界でいえば、意味のない画面のクローズアップは撮ってはいけないというセオリーがあるんです。それをやってしまう。見せるべきものを、ちゃんと見せて、見せちゃいけないものは見せない。演劇も同じでしょう」

 そうした、絶対に外してはいけない部分を、きちんと教える。そのためには一人ひとりを見て、何を教えるべきなのかを的確につかまなければならない。
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「伊藤先生は、そういう部分をきちんと見ていたと思いますよ」。自身の映画『川を渡る風』のオーディションで伊藤正次演劇研究所の研究生だった伊藤留奈と出会ったことが縁で神山監督は研究所に出入りするようになった。

「僕は、研究所の公演、研究生の発表会は、ほとんど観にいかせてもらったけど『父帰る』なんて、何回観ても、観飽きない。それが芝居の魔力なんでしょうけど、それまで芝居の戯曲を、きちんと読んだことがなかったのが、研究所に通うようになって、いろいろ勉強させてもらいました。戯曲の構造は、こうなっているのかと」




 「研究所の人とも、いろいろ親しくなって、そりゃあ、研究生にもいろんな人がいますよ。まだまだ未熟な人もいる。だけれど、公演で観ると、不思議にバランスがとれているんです。このバランスっていうのが、どんな作品でも大事。ある有名な俳優がやっている劇団の芝居も、何度か観にいかせてもらいましたが、どうもしっくりこない。上手い役者だけのワンマンショーになっちゃってるんですよ」

 演劇では、長い時間をかけて、どれだけ一人ひとり手をかけて育てたかで、上手下手が如実に現れてくるのを知った。
「伊藤先生が、どんな魔法を使っていたのかは分かりません。でも、先生が研究生といろんな話をしているのは、さんざん見てきた。先生は、犯しがたいほど怖くて、高くて、強いものだったけど、話をするときは同じところにいる友達みたいだった。それが凄い。寺山修司なんかは、役者が稽古しているのを節穴から見ていたなんていうけれど、先生はいつもみんなの中にいましたよね」

 そうして、神山監督自身が、いつしか伊藤正次の不思議な魅力を感じ始めたのだという。
「僕は、いままで生きてきて、3人、ちょっとかなわないという人と出会ってるんです。伊藤先生と日本フィルハーモニー交響楽団の指揮者だった渡邉暁雄さん、作曲家の芥川也寸志さん。伊藤先生はいわゆる貴種ですね。演劇一族の血なのか、人を楽しませるのが上手。とにかく話が面白い。何時間でも話を聞いていられる。歴史上の事件にまつわる、先生の身近な人たちのいろんなエピソードだとか」

 監督自身、他人の話を面白がるようなことは、あまりなかった。それでも、話が聞きたいと思わせてくれる稀有な存在だったという。


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