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受け継がれる想い

伊藤正次から受け継がれる想い。想いをひも解くインタビュー。

Vol.4
邦楽の表現者という舞台へ。

箏・三絃演奏家
福田栄香
Fukuda Eika

箏・三味線(三弦)そして歌が織りなす、日本の伝統音楽『地歌箏曲・三曲』の会派を代々、受け継いできた家に生まれた。
幼い頃から箏や三味線、尺八の音に囲まれ育ちながらも、どこか「静かな世界」に物足りなさを覚え、高校卒業と同時にミュージカルの世界に足を踏み入れる。
 
「それまでの環境で、自分なりに演劇を吸収してきたつもりだったんですね。でも、何かが足りなかった。それで、21歳のとき、伊藤先生とのご縁を頂いて研究所に入れていただいたんです」
 
これまで出会ったことがないような師との出会い。自分では、それなりに分かっているつもりだった"表現者"というものの在り方が覆されるような研究所生活だったという。

「3時間ぶっ通しで、お説教されるんです(笑)。そのお話が胸に迫るし、響くし、耳に痛いし。しかも、どのお話も具体的で、すごく引き込まれる」
 
大物と呼ばれる俳優が、普段から人としてどんな生活をしてきたのか。場の空気を一変させてしまう女優は、どんな生き様をしてきたのか。指導者として役者の世界の暗がりから日の当たる場所まで、ずっと見続けてきた伊藤正次は、演技論よりも人間論を研究生に問いかけ続けた。
 
「あるとき、先生が、この間の選挙は行ったか? と聞くんです。みんなシーンとしていたら“人間としての恥を知れ”と叱られて…。白紙なら、まだいい、無投票は成人として失格だと。もう、なにか情けないというか悔しいというか、泣けてきました」
 
表現者として、いくら上手くなっても、それが何だ。人として、どう生きて、どう世の中と関わるのか。そこまで考えて深く生きてこそ、本物の表現者ではないのか。そう突きつけられた気がした。
 
「ほんとに、素っ裸にされた感じですよ。でも、それが嫌な感じではなく、ああ、そういうことだったのか。表現するって、こういうことなんだって、研究所で先生に出会って、初めて気付けたんですよね」

邦楽の“表現者”になればいいと思った


邦楽という伝統の世界に物足りなさを覚え、飛び込んだ演劇の世界。研究所に通い始めて半年ほど経ったとき、福田栄香は、ふとあることを思い立った。
 
「昔から舞台に立っている父の姿は好きだったんです。でも、伝統音楽の世界で、いくら頑張っても、狭い世界の中だけでのみ理解されて、それを多くの人々に聴いてもらえない。一流になっても世の中に認められないなんて、つまらない」
 
子どもの頃に、そう決めつけ、遠ざけてしまって家業の邦楽。しかし、研究所で人としてのあり方を考えるようになった時、ふと、自分の人生を改めて考えるようになった。人に何かを訴えかけるのは、演劇も伝統音楽も同じではないかと気付いた。
 
「自分の中で、何かリンクしたんですよ。自分が大好きな“表現する”ということを、自分の置かれている伝統音楽の立場でやればいいじゃないかと。目的は同じままで、手段を演劇から邦楽に変えればいい。そうすれば、表現者でずっといられるじゃないかって」

その瞬間、嫌いだと思い続けてきた家業が、違うものに感じられた。
「こういう生き方をすれば、自分に何が蓄積されて、それが自分から発信され、他者の心が、こう動く。舞台人なら当たり前の精神をすごく教えていただいた。そのおかげで、ある日、すーっと自分の心が動いたんです。この教えを邦楽の舞台で生かそうと」
 

「稲穂でいなさい」という師の教え


もう自分は、ずっと演劇の世界に居続けるんだ。そう思っていた福田栄香が、伝統音楽の世界に戻る決心を、師に伝えた。
 
「それまで先生には、自分がどういう家業の人間かを話してなかったんです。初めて、道を邦楽にしようと思います、と告白したら、先生はすごく喜んでくださって。道は違っても精神は同じだ、頑張れ、と。ただし、年賀状なんてありきたりの挨拶なんかよこすな、自分が本当に連絡したくなったときにして来なさいと言われたんです」
 
研究所を離れて7年後。29歳、史上最年少で文化庁芸術祭賞を受賞したときに、“約束”を果たすように7年ぶりの電話をかけた。
 
「わたしが家業の邦楽に戻るときに、先生からは、風当たりは強いだろうから“稲穂でいなさい”と仰っていただきました。自分は、この世界で立派になるという目標を胸に持ちながら、耐えなさいと。積み重ねを重んじる伝統の世界ですから、ずっと継続して修業を積んできた周囲の人々の目は厳しくなります。勝手に外に出て、また戻ってきてと。演劇の世界とは、また違った厳しさ、競争があることを先生は分かっていらした。だからこそ、稲穂なんだと」
 

本物と本物が出会うということ


演劇の畑を経験し、研究所で表現者として地に足の着いた姿勢を学んだ福田栄香は、伝統音楽の世界でも、師との約束を果たし稲穂を実らせた。
2004年には家業の三ッの音会三代家元となり、2009年、二代福田栄香を襲名。アーティスト・デーモン閣下との『邦楽維新Collaboration』にも参加するなど、伝統音楽の世界での新しい表現者としての活動も行っている。
知らない人から見ると、演劇をやってきたから、新しいことをやりたがっていると思われがちだが、そうではないと福田はいう。
 
「邦楽の演奏家も演劇の役者も、表現者として人に見せるときの所作、振る舞い、視線や空気感の纏い方はすべて同じ。志の高い“真”の表現でなければ、人に見せることはできない。デーモンさんとの競演も、最初は絶対やらないと思って観にいったんです。でも、彼の演奏を聴き、人間性に触れて、この人となら何かつくると面白いんじゃないかなと。逆に、デーモンさんからは、本当の古典を演奏できる人だからこそ、違う音楽とセッションしたら何か生まれるんじゃないかと言われたんです」
 
餅は餅屋。いくら目新しいことでも、本物がつくるものにはかなわない。研究所で本物の大切さを叩き込まれた人間として、そこは譲れなかった。だからこそ、技術と精神の伴う本物同志が出会い、新たに大きな力を生み出す奇跡や喜びを信じている。そして、それがきっと出来ると信じて進んだ結果に、今の自分があるのだと。
 

三曲と朗読という新しい表現の世界


「本物の大切さ、ということは、それまでも色々な人から言われていたと思います。でも、胸に迫って来ないんですよ。それが、何故か先生に言われると、もう、どうしようっていうくらい悲しかったり、嬉しかったりする。とにかく、真摯にひとつのことを、未知である私達に教え続けてくれました」
 
同じことを語っても、研究所での先生の話は全然違ったという。
「人として、いまやるべきことは何か。それをやらずに、演技を一生懸命やっても駄目なんだと。逆に、その本質的な軸がブレずに修業を積めば、表現者として成功するはずだという教えを先生は刻み込んでくれました。芸は熟していっても、そのエネルギーの源は、ずっとそのまま持ち続けたいし、先生に見守っていてもらいたい」
 
3年前から、地元で邦楽に親しんでもらうためのアンサンブル活動も始めた。筝・三絃などの演奏、歌、朗読、トーク。源氏物語などを分かりやすくオリジナルに脚本したものを、朗読を組み込む形で三曲を奏でる演出。そこに生まれる“間”と朗読の声の“表情”は、まさに「研究所で先生と出会わなければ、生まれなかった表現世界」だ。
 
「海外に行くと、国も文化も異なる大勢の人が邦楽の世界に興味を持ってくれて、心を通い合わせようとしてくれます。でも、残念ながら邦楽の心を知っているはずの日本人のほうが、敷居の高いという様な先入観に捕らわれがちで、なかなか近寄って来てくれない。日本人として、邦楽の演奏家としての悲しい現実に向き合い、何とかしたいと心が躍動したのも、先生の教えに出会ったからこそ。邦楽の魅力を分かっている人間が、自ら魅力を伝える側、表現する側にならないと。アンサンブルでは、福田栄香というひとりの人間を通して、飾らない姿で“日本の音”の奥深さ、神秘を感じてもらえたら」
 
伝統音楽の魅力をもっと多くの人に知ってもらうために、自分自身が愛する邦楽のための“表現者”としての活動こそ、師に誓ったもうひとつの約束だ。
 

取材・文 / ふみぐら社
2011.09

福田栄香
Fukuda Eika

伊藤正次演劇研究所元研究生。幼少より、父福田種彦から箏、三弦の手ほどきを受け、三歳にて初舞台を踏む。1993年文化庁芸術祭賞を最年少で受賞、1997年文化庁芸術祭優秀賞を受賞、若手演奏家としての古典演奏の評価を不動のものとした。1999年のドイツ国内巡演、以後海外公演多数。2004年三ッの音会三代家元となる。2008年平成20年度文化庁文化交流使となり、単身にて東南アジア3ヵ国で活動。2009年二代福田栄香を襲名。現在、公益社団法人日本三曲協会理事。生田流協会理事。三ッの音会三代家元。舞台、テレビ、ラジオでの演奏、教授活動の他、国際交流及び文化紹介、伝統音楽普及活動にも励む。また、近年デーモン閣下とのコラボレーションでも話題を呼ぶ。
 
生田流 三ッの音会・福田栄香 オフィシャルサイト