「野心、秘密主義、忠誠心、嫉妬深さ」

台詞のbaton16

酒井政利(音楽プロデューサー)→竹内修(伊藤正次演劇研究所OB)

「野心、秘密主義、忠誠心、嫉妬深さ −− これが役者にとって欠くことのできない素質だ。」

戯曲『ドレッサー』
ロナルド・ハーウッド 作 松岡和子 訳

いやぁぁ凄い!おもしろい!いいねぇ!いいセリフ!!
嘘、真実、言葉の意味を越えて、色気・温度・肌触り・匂い…を感じる台詞の数々…。
戯曲を読む度に、まるで当てがきのよう(そう思わせるのは俳優の力!?)…想像するたびに顔がニヤニヤしてしまいます。

★ batonは竹内修→柴田莉帆さんへ
Withコロナ時代ど真ん中に舞台、映像に生きようとする女優サンに期待!感性を知りたいなぁ

「どんな鳥も想像力より高く飛ぶことはできない」

台詞のbaton13

和田緑郎(伊藤演劇研究所OB)→酒井政利(音楽プロデューサー)

「どんな鳥も 想像力より高く飛ぶことはできない 
 言葉は時の曲馬(サーカス)である」

 寺山修司

新レコード会社CBSソニー発足(1969)、第一弾として念願だった寺山修司さんと組んで2カ月以上打ち合わせを重ね制作。その深夜のレコーディングスタジオで、寺山さんが何気なく吐いた言葉。
作品は『時には母のない子のように』作詞 寺山修司
10代にして、短詩型表現者として自己確立したひとの台詞。

彼は私と同い年でありながら、忙しなく動きまわる私を笑いながら、少年を診るかのように難問を突きつけてきた。あの体験、吐く言葉が音楽プロデューサーとして私の中で孵化したことも事実。例えば他に考えさせられたのは、
「ぼくは不完全な死体として生まれ 何十年かかかって完全な死体となる」など
それも、うどんを口にしながら、おだやかな口調で決して病んでいる表情でもなく…。
一般的な死が訪れ、何年かして、強烈な感性の塊のような神経系が死を招く。それが「完全な死体」なのだと暗示していたと思う。亡くなる数日前、話でもと突然の連絡。急いで中華料理屋を予約。一時間近く談笑。
その数日後、訃報にふれ、寺山さんは「完全な死体」をまさに完成したのだと思った。余りにも豊かすぎるあの強烈な感性が、同時代の人よりも早く、異なる世界へと運ばれたのだと思う。

★batonは酒井政利→竹内修(伊藤正次演劇研究所OB)

※画像はレコード 歌唱カルメン・マキのジャケット

「兄弟牆に鬩げども、外務を禦ぐ」

台詞のbaton11

高久律子(伊藤正次演劇研究所OG)→和田緑郎(伊藤正次演劇研究所OB)

「兄弟牆に鬩げども、外務を禦ぐ(けいていかきにせめげどもそとあなどりをふせぐ)か・・・・・・あはゝゝゝ。」

作 菊池寛
戯曲『時の氏神』

今から31年前、伊藤演劇研究所に入って最初に取り組んだ作品が菊池寛『時の氏神』です。
貧しき小説家である相良英作とその妻ぬい子が喧嘩し、ぬい子が家を出ようとしたときに、同じく夫婦喧嘩して家出してきた従妹の芳子がたずねてきます。家に居られては困る夫婦は、協力して芳子に里心をつけて追い返そうとしますが、そのとき思わず出た英作の台詞。もとは中国の故事で、家の中で兄弟が内輪喧嘩をしていても、外から侮辱を受ければ、共にそれを防ぐという意味。
新型コロナウイルスの発生源をめぐり、米中が対立している中、両国トップに聞かせたい台詞。今は互いに協力してワクチン等の開発をし、一日も早く終息するために努力して欲しい。喧嘩している場合ではないと思うのですが・・・。

★batonは和田緑郎→酒井政利さんへ
「伝説のプロデューサー」。研究所時代から毎回欠かさず芝居を観てくださっている恩人です。

「仕方がないわ、生きていかなければ!」

台詞のbaton9

神山征二郎(映画監督)→高久律子(伊藤正次演劇研究所OG)

「仕方がないわ、生きていかなければ!
(間)ね、ワーニャ伯父さん、生きていきましょうよ。
長い、はてしないその日その日を、いつ明けるとも知れない夜また夜を、じっと生き通していきましょうね。運命がわたしたちにくだす試みを、辛抱づよく、じっとこらえて行きましょうね。今のうちも、やがて年をとってからも、片時も休まずに、人のために働きましょうね。そして、やがてその時が来たら、素直に死んで行きましょうね。」

作チェーホフ 神西清[訳] 
戯曲『ワーニャ伯父さん』(新潮文庫)

ある程度の年齢になってわかる主人公ワーニャの心の叫びが痛い程胸を打つ作品。姪っ子のソーニャが、伯父を励ますラストの力強く肯定的な慈愛に満ちた台詞が忘れられない。

★batonは高久→伊藤演劇研究所OBで、夫でもある和田緑郎さんへ

「おたか!丈夫で暮せよ。」

台詞のbaton8

伊藤慶子(Ito・M・Studio代表)→神山征二郎(映画監督)

「おたか!丈夫で暮せよ。お前はわしに捨てられて 却って仕合わせやな」

戯曲『父帰る』
作 菊池寛

『父帰る』といえば伊藤正次演技研究所、という位、何度も数多くの研究生の出演作を拝見しています。父 荘太郎には多少見につまされるところがあったりで…。

★batonは神山征二郎→高久律子さんへ
バトンは伊藤研究所OGの高久律子さんに。高久さんの演じた、『父帰る』の母おたかの名演は今もよく記憶しています。私の中にも忘れがたい名演技というのはいくつかありますが、高久さんの「おたか」は、そのうちの一ツですので。

画像は、1920年(大正九年)新潮社より出版の私の秘蔵本『藤十郎の恋』の中表紙。※この戯曲集の中に『父帰る』も掲載されています。

「保留、俺はタコになりたいねタコに」

台詞のbaton3

伊藤留奈(Ito・M・Studio)→中川香果

「保留、俺はタコになりたいねタコに。愛に溢れた八本の脚にびっしり付いた吸盤で吸い付ける。分かるか?」

戯曲『エンジェルス・イン・アメリカ』
作 トニー・クシュナー

一部、二部合わせて七時間強の大作の最初の言葉が「保留」ってところにグッと来ました。

☆batonは中川香果→テイ・カトウくんへ
本業はお笑い芸人。
後輩を巻き込んでテイ・カトウ劇団を主宰。
芝居の時の俺は違うからとスパルタ演出で恐れられる。
芝居好きがこうじて新喜劇にて内面の演技をして怒られる。
Mスタジオに初めて来た時に泥棒と間違われる。

台詞のbatonで繋ぎます

イギリスの演出家ピーター・ブルックは、その著書『なにもない空間』で、

演劇行為が成り立つためには、「ひとりの人間がこのなにもない空間を歩いて横切る、もうひとりの人間がそれを見つめる」これだけで足りるはずだ。

と言っています。

ぽっかり空いた穴の様な空間と時間、ぽっかり空いた私達の心の穴が、早く満たされます様に。願いをこめて、暫し、「台詞のbaton」で繋げようと思います。

それでは、最初の台詞です。

「私の穴を全て埋めて…」

映画「ニンフォマニアック」
原案/脚本/監督 ラース・フォン・トリアー

このbatonは、スタジオの伊藤留奈から→見かけによらずシャイボーイな中川香果さん&クールと見せかけ激アツレディな宮村(セツコの豪遊主宰)に渡します☆